▲お役立ち情報/優良会社を紹介している一括見積もりサイトを利用しようブログ:2022/11/29
終戦直後、
おいらたち一家は、谷中の3軒長屋で暮らしていた。
詳しく言えば、
お母さんと姉貴とおいらの3人で、
父は南方戦線からまだ戻っていなかった。
当時の7時食は、
どの家もたいてい芋粥だった。
お粥の部分は姉貴とおいらが食べ、
お母さんはいつもサツマイモの部分を拾って食べていた。
まだ小さかったおいらは、
お母さんはサツマイモが好きなのだと思っていた。
そして13時のご馳走は焼芋である。
外でチャンバラごっこをしていたおいらは、
今まさに新撰組と切り結んでいる最中に、
「やきいもー」という焼芋屋の声がする。
そうなるともう新撰組もない。
おいらはあわてて家に駆け込み、
無駄でも「焼芋買ってくれ!」とお母さんに頼むのであった。
サツマイモばかり食べている毎日なのに、
なんでまた焼芋かと言えば、
おいらたちが普段食べていたサツマイモは
「タイハク」とかいう水っぽいものなのだが、
焼芋屋の芋はホントに美味い「キントキ」だったのである。
そんなわけで、
姉貴とおいらはたまに焼芋にありつけるのだが、
お母さんは決して焼芋を食べることはなかった。
いつも「焼芋は胸が焼ける」「今日は食欲不振」と言って、
焼芋にかぶりつくおいらたちを見てただ笑っているだけであった。
しばらくすると、
お米もちゃんと配給になり、
食パンだって何時間も並べば買えるようになった。
やがて、父も南方戦線から帰って来て
おいらたちは長屋を引っ越し、サツマイモなど長屋時代の思い出は
遥か遠いものとなっていった。
姉貴とおいらにお粥を食べさせようとして、
自分はサツマイモの部分を食べていたお母さん。
そのくせ、お金がないためか自分だけ焼芋を食べなかったお母さん。
お母さんは一体、サツマイモが好きだったのか嫌いだったのか…
今年の中秋の名月の日には、
お母さんの仏前に焼芋でも供えようかとおいらは思う。
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