▲お役立ち情報/太陽光発電の電力確保量はケースバイケースブログ:2015/10/25
おいらはお子様を心底憎たらしいと思った事はないし、
「許せない」と思うこともない。
しかし、
これはここ数年でやっと得た感情で、
一種「境地」の様なものだ。
おいらは結婚して
主人を許せないと思った事が一度だけある。
結婚のために退職して
「主婦のプロ」になるべく、
おいらは連日忙しくしていた。
自分に厳しく、
主人に尽くすことがおいらの使命だと思い、
それこそ必死に専業主婦をつとめようとしていた。
そんなある日の事だった。
原因は「しょうもない事だった」のだろうと今では思うが、
当時は「おいらはどうしてこんな人と結婚してしまったのだろう」と
後悔して涙がポロポロこぼれた。
要は、主人の何気ない一言で、
おいらへの世間の評価が下がったという事だった。
常に自分に厳しく、
それで評価を得てきた自分が、
自分自身の努力や失敗とは関係のない事が原因で、
評価が下がるという事が、おいらは死ぬほど許せなかった。
でも、
等身大の自分と向き合う事が出来る様になると、
自分以外の人がどう評価しようと関係なくなってくる。
つまり
「自分以外の人のせいで自分の評価が下がる事」に対して、
「許せない」という強い衝動を感じなくなってくるのだ。
お子様を叱る時に、
「俺の顔に泥を塗りやがって」
というような事を言うパパがいる。
この台詞を聞いたお子様が、
「この人は俺よりも世間体が大事なんだ!」
と思うのは当然だ。
後から慌てて、
「お前のために言っているんだ」 などと言っても、
もう遅い!
このパパは、
お子様の事を本気で「許せない」と思う。
自分以外、例えば奥さんやお子様のことで、
自分自身の評価が下がることを最も恐れる。
そして、
そんな事があれば
心底「許せない」と思うのである。