▲お役立ち情報/太陽光発電の電力確保量はケースバイケースブログ:2021/12/17
一週間位前、お母さん方の祖母が亡くなりました。
祖母はぼくが大学生ぐらいのときに、
認知症の症状が始まり、
引き取ってしばらく一緒に同居していました。
当時のぼくは
頭の中では祖母が認知症と理解しているのですが、
心では理解できずに、
きつく当たってしまったこともしばしばありました。
その後、運良く老人ホームに入ることが出来、
ホームの方もとてもよくしていただいていたのですが、
肉体の調子を崩してからはどんどん症状がひどくなって、
こうなると、女の子であるお母さんが行ってもわからなくなり、
一人ではご飯も取れない状態にまでなっていました。
そんな状況で、
ぼくは、最後の最後まで祖母に優しくする機会を
失ってしまったような気がします。
本当はお見舞いに行っただけでも、
その思いは通じているのかもしれませんが、
心の中では「ごめんね」の気持ちの方が
いっぱいだったのかもしれません。
祖母が亡くなったとき、
ぼくはちょうど仲間と旅行中でした。
家族が気を使ったのか、
全て式を済ませてからぼくのところに連絡が来たんですね。
その連絡を受けたぼくには、
祖母が亡くなったというとても悲しくショックな気持ちと、
ちょっと寂しい気持ちがありました。
祖母が亡くなったところで、
すぐに行けるかわからないけど、
家族なんだからすぐに連絡してくれても良いのにと…
そこで、ぼくは思い出したことがありました。
「役立たず」とか「自分がいなくても良いんだなぁ」という感情です。
子どもの頃のぼくは、
いつもこの感情と一緒でした。
「ぼくがいなくても誰も何も困らないし、悲しくもない」
と言う感じですね。
存在していても存在しなくても、誰も何も気が付かない感じです。
■小平つかさ
小平つかさ
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